2024年3月31日。午前10時。
とうとうこの日が来てしまったんだなと思うと言葉には表せない複雑な感情が湧き出てきますが、それでも彼等との出会い、今までの思い出、そして今の心情を残しておかなきゃあとで後悔するなと思いながら書き始めました。
たぶん読み返したら拙い文章になってるんだろうな~と思いつつ、とにかく殴り書きでいきます。残しておきたい気持ちはたくさんあるぞの気持ちです。
まず、そもそものキッカケはやっぱりNYC boysだったのかなと思います。
元々ドラマとか俳優さんがだいすきな家庭で育ったので、幼少期から数え切れないほどのドラマを見てきましたが、その中でも当時大好きだったのが「花より男子」で、時代の波に思いっきり乗っかっていたと思います。もちろん「ごくせん」とかもだいすきだったし、そういうドラマの影響もあってか私の中での「ジャニーズ」の存在ってかなり大きくて。
特に小学生の頃は本当にみんなアイドルがだいすきで、ほぼみんなジャニーズのオタクみたいなところありませんでした(?)AKBとかK-POPが好きな子もいたけど、それでもほぼ大半がジャニオタだったなと。そういう子達の影響もあってかジャニーズタレントの知識はかなりあったし、初めて買って貰ったCDは嵐のラブソーだし、家族と楽しんでたジャニーズのバラエティ番組も少なくなかったし、中でも少クラは毎週見ていたので、若手とかJrに対しても何となく「この人イケメンだな」「あの人が好きだな」っていうのはあって。今考えるとその当時からそこそこジャニオタだったのかな~とは思います。中でもNYC boysにはメロメロだった時期があるし、先ほど述べたようにドラマがだいすきだったのもあり、色んな作品でよく見かけていた山田涼介と中島健人はほんとに好きでした。だってあんなにお顔整った人いる??って思ってました。めちゃくちゃミーハー感凄いですが(笑)
そんな感じでなんやかんやゆる~いジャニオタをしているうちに、キスマイがデビューして、SexyZoneがデビューして……………………。特にセクゾデビューは私たち99lineにはものすごい衝撃で、だって同い年がいるんだよ?今までアイドルと言えば年上のキラキラしてるお兄ちゃんって感じだったのに、同い年がジャニーズとしてデビューした、しかもその子はドイツとのハーフで………っていう頭を殴られたような感覚。これはジャニオタじゃない男の子たちとも一緒に驚いた記憶があります。
でも、このままSexyZoneのオタクを始めたかと問われると全然そうじゃなくて。セクゾがデビューしてから私は中学に入学し、勉強に部活に学校行事に対人関係にとものすごい忙しくなり、よく言えばリアルを満喫していました。転機は中学3年生、2014年の夏。部活も引退して受験勉強への切り替えがまだ上手くいってなかったその時期に、私はまたドラマオタクとしての人格を開花させ、ドラマを楽しんでる最中に出逢ってしまったのがHey! Say! JUMPの中島裕翔さんで。もうこの話何度目?って感じですが、そうです「水球ヤンキース」にハマっちゃったんです。
そこからセクゾにたどり着くまで本当に2週間かからなかったと思います。
当時はパソコンもケータイも持っていなかったし、もちろんSNSなんてやってなかったので、裕翔くんにハマってから何をどうすれば彼をもっと知れるのかなと考えた挙句、今まで録り溜めて見てなかった少クラを見ればいいじゃないか!と思い立ったんですよね。小学生の時の名残で毎週録画してたのが功を奏しました。もちろん最初はHey! Say! JUMPと中島裕翔さん目当てに見ていたんですけども、懐かしい面々と初めて見かけるどタイプな面々、色んな出逢いがあって。DD気質な私は見事この時期に色んなタレントに沼りましたが、その中のひとりがSexyZoneの中島健人さんだったんですよ。
そこからはめちゃくちゃ鮮明に覚えてます。
今までゆるオタかつ在宅オタクだった私は、やっぱり生でコンサートを観たいとなるわけですよ。そのためにはFCに入らないといけない。即母親に強請りました。でも結果は惨敗。私の家かなり厳しくてお小遣いも基本的に貰えなかったし、どこかに遊びに行くのでさえいつも嫌な顔されていたし、トドメには高校3年の途中までケータイも持たせて貰えませんでしたからね?ケータイ持ってない生徒、学校で私1人だけでしたよ?
でもどうしてもコレだけは諦めきれなくて何度もお願いしていたら「第1志望の高校に合格したらお母さんがFCに入ってあげるから一緒にコンサート行こう」って言ってくれて。そこからはもう死ぬほど勉強したんです。今思うとめっちゃ健気な子どもでかわいいよね(笑)
とりあえずHey! Say! JUMPとSexyZoneには会いたい。Jrにも何人か好きな子はいるけど、とりあえず中島裕翔と中島健人に会いたい。その一心で1日最低10時間のペースで勉強しました。塾にも通わせて貰えてなかったから全部自学自習。本当に自慢じゃないけど、中学3年の成績オール5でした。頑張った証ではあると思っていて。マジで推しの力って凄いよね。
でも結果は第1志望不合格。わんわん泣き崩れる私に、母親がある封筒をくれてね。今でも覚えてる。「Sexy Zone Sexy Power Tour」のチケットが2枚入ってたんですよね。もうほんとに嬉しくて。「頑張ったね」って母親に肩を抱いて貰った感覚、今思い出して号泣してます。
正確に言うと違うみたいなんだけど、それでもこのセクパワが、私の初めてのジャニーズの現場で。横アリで初めて見た中島健人さんは本当にキラキラ輝いていて。あ~~~本当に実在するんだって大号泣して。ほぼ健人くんしか見てなかった。健人くんしか見れなかった。それほど中島健人は私の中の唯一無二の存在で。中島健人さえ居ればいいとそう思っていたんですよ。
ついこの前も書いたけど、健人くんの良さって「王子様」とか「ザ・アイドル」だけじゃない。少なくとも私はその部分に惚れて彼を推してきた訳じゃなくて。
「誰よりも貪欲でまっすぐで負けず嫌いで どんな事にも120%で挑めてアイドルらし いアイドルを恥だと思わず全力でやって のける そんな貴方を私は世界一カッコイ イと思ってたし、最年長なのにメンバー1 子供っぽくてうるさくてはしゃぎまくる 貴方も あんなキャラで売ってんのに天然 で抜けててちょっぴりおバカなそんな貴 方も私は世界一かわいいと思ってたし、 誰よりも天才的なアイドルなのに誰より も人間味のある中島健人がほんとにだい すきだったよそんな貴方の20代を画面越 しにでも見てこられてほんとに良かった 20代アイドルを全うしてくれて SexyZoneの中島健人を全うしてくれてあ りがとね」
← 彼の20代最後の日にした私のツイート。この部分に惚れて私は彼を今日まで推してきたつもりなんです。
本当に中島健人しか好きじゃなかった。SexyZoneなんていうグループはどうでも良くて。
でもそれから1年後のウェルセクで、私はちょっと違和感を覚えたんですよね。中島健人が好きだし、私には健人くんしか必要ないって思ってたのに、セクパワもウェルセクも、これSexyZoneのコンサートなのかな?って違和感しかなくて。
たぶんこのセクパワからウェルセクまでの1年間で、Hey! Say! JUMPや次々と誕生していく他のJrのグループを見ながら、こんなにもバラバラなのにどうしてSexyZoneはSexyZoneである必要があるんだろうって思ったんだと思う。特にHey! Say! JUMPはHey! Say! JUMPであることを大切にしてるように見えたし、何よりコンサートが当たり前だけど「Hey! Say! JUMP」のコンサートで。セクパワとかウェルセクってこんなの「SexyZone」のコンサートじゃない。なんか少クラの延長線みたいだって当時の私は思った記憶があります。ちょっと悲しくて泣きそうになったりもして。
だからこそカラアイで5人に戻った時は死ぬほど嬉しくて。中島健人にしか興味がなかった私が、5人やSexyZoneというグループに拘るようになったのってたぶんココなんだと思う。苦手なメンバーもいたけど、徐々に徐々にみんなのことを好きになりはじめて、グループ丸ごと愛せそうになったの、そうだよねたぶんカラアイの時期です。
高校2年の春、私の誕生日プレゼントはHey! Say! JUMPとSexyZoneの"自分"名義の会員証。嬉しくて嬉しくて財布に入れて持ち歩いてたな~(笑)
高校2年の夏、風磨が健人くんのソロコンに見学に行ったという衝撃な出来事がおきて。今じゃセクゾ担で知らない人なんていないと思われる8.25事件。直後のらじらーで勝利くんがものすごい嬉しそうに話してたの私は一生忘れないし。
高校3年の春、今でもいちばん好きなコンサートは?って聞かれたら絶対即答するであろうSTAGE魂。セクパワとかウェルセクでは絶対想像出来なかった「5人の」「SexyZoneの」ステージ。「泣いて笑って届けるから 笑われたってあなたにだけ」「『最低 最低』聞こえた夜 拳 握って叩きつけた 今はこの手空っぽにしていつだってマイク握るよ」を信じてついて行こうと思えたあの日。
高校3年の夏、嵐とのワクワク学校で、SexyZoneもいつか「嵐」みたいにとドキドキワクワクした日々も覚えてるし。
浪人生だった1年、各々の個人仕事も順調に見えたし、24時間テレビも成功させたし、これからSexyZoneがてっぺんとってやろうなって彼らを横目に見ながら私も勉強頑張ってましたが、聡ちゃんの活休でなんでこんなにもセクゾばっかり辛い目に合わなきゃいけないんだろうって本気で思った時もあって。
なんか上手くいかないなって思った。誰が悪いとかじゃなくて誰も悪くなくて。だからこそ心の行き場がなくて。
でも正直本音を話すと、たぶんもうこの辺りからすべてに疲れてたんだと思う。
2018年、私は自分で魔の年って呼んでいてね。きっかけは他界隈の最推しが自らのイベントを控えた直前に突然芸能界引退して。そこからは負の連鎖だった。知ってる人は知ってるだろうけど、他界隈も含め、どの推しも壁にぶち当たってる時期で。
2018年の後半から2019年末までは違う界隈のアイドルに全モチベ捧げるかのように依存してたし、そのアイドルも自分の思うような道に進んでくれなくて、そんな矢先にコロナ禍になって、コロナ禍でも楽しませてくれる供給が多い界隈に逃げました。
コロナ禍って良くも悪くも色々考える時間ができちゃって、夏前だったかな~、私はジャニオタを卒業しようと思ったんです。この時期はセクゾも含めて3グループくらい掛け持ちしてたけど、やっぱり推してて苦しくて。だったらオタ卒しようって本気で思ってたんですよ。次のコンサート行ったら降りよう、そう決めました。
2020年秋、掛け持ち先のグループもその時期に配信ライブをしていて、セクゾもちょうどその時期にポプステの配信があって。そこで降りようと思ってたのに、5人の姿を見たらやっぱりなんか降りれないかもって気持ちになって、でもそんなふうに思ってたらマリウスが活休になって。
本当にSexyZoneってあまりにも人生すぎる。
でもね~10周年のアニバ魂を配信で見てたら、やっぱり常に「5人」を感じて。なんやかんやで本格的に出戻りしたのが2021年の夏なんですよね。もうアカウント変えたので当時のお気持ち表明ブログも消えちゃったけど、2020年の秋に大層なこと言ってセクゾ担やめたのに、2021年の夏にまたセクゾ担やりたいですセクゾ出戻ります!って宣言した私をきっとここの何人もの人がリアルタイムで覚えてると思いますが、本当にその節は温かく迎え入れてくれてありがとうございました。
でも本当にそこからも色々あったよね。横アリでのドーム発表も、初ドーム初日も、マリウス卒業発表も、色んな感情が混ざって複雑で、このたった2年で色々ありすぎた。それでも常に私の核にあったのは、中島健人がいるSexyZoneが、SexyZoneである中島健人が好きだって事実です。
いくら中島健人が好きでも、私はいつの間にかSexyZoneである中島健人が好きになってたし、いくらSexyZoneというグループを箱で好きになっていても、そこに中島健人が存在するっていうのはあまりにも前提すぎたんですよね。
改名発表された時、私はこの4人がいつまでも一緒にいてくれるなら、名前くらいくれてやれって思ってました。これずっとツイートしてるけど、ここ数年の中島健人は、あまりにも儚すぎて、何かキッカケがあればグループから消えてなくなりそうな雰囲気があったんです。
ずっとグループの名前だして、グループのためにと言っていた彼が、いつの日にかグループの話をすることが減り、自らの個人の未来について語ることが多くなった。今までずっと表に出してなかった過去を、今までだったらわざわざ表に出して言わなかったことをファンの前で言うようになった。非該当のひとでも感じてる人がちらほらいたから、きっと私のような該当担はもっとひしひしと感じてたと思う。だからこそ改名して4人でグループを存続してくれるならこれ以上は望まないって去年の秋までは本気で思ってたのに。
あの中島健人の脱退の発表を聞いた時、どこか納得しちゃう自分もいた。彼の言葉を聞いて、3人の言葉を聞いて、モヤモヤする部分もたくさんあったし、嫌というほど散々泣いたけど、今ももちろん寂しいし今からでも撤回して欲しいけど、私が何か出来る訳でもないし。
だからこそ今日この日を持って、私はSexyZoneのオタクを彼等と卒業することを選びました。健人くん個人も3人のことも応援する道だって考えたし、健人くん個人にだけついて行く道、3人にだけについて行く道も考えなくはなかったけど、それでもその道を選んだ先の未来で「今」がいちばん楽しいと胸を張って言える自信がないんです。マリウスが卒業した時も悲しかったけど、それでも4人を見て過ごした去年の1年間は「今」がいちばんだと言えたので、やっぱりその時とは全く気持ちが違うんだなと自分でも思ってます。いやだって実際違うんだよ。マリウスみたいに芸能界引退するからグループから抜けるのと、芸能界でまだアイドルをやっていくのにグループから抜ける健人くんじゃ全然違う。
他担には申し訳ないけど、色んなことを他メンのせいにしてた時期もありました。あんだけグループのために自担は頑張ってんのに、他メンからも冷ややかな目で見られてるなって感じることあったし、他メン担からもがめつい奴だって貶されてるの散々見てきた。今となっては氷河期なんて言葉で一蹴されちゃうけど、お互い様とは言え、自担贔屓にはなっちゃうとはいえ、それでも向こうがあまりにも酷いよって思うこと少なくなかったです。もし24時間テレビのあとあのまま勢いに乗れてたらって思っちゃったこともありました。でもさ、それ全部含めてSexyZoneなんだよねって思う。
こういう色んなことがあったからこそ、今のメンバー同士の絡みが愛おしいと思えるし、色んな困難があったからこそ感動して見えたステージの景色も絶対あって。
そしてこれも最後に本音なんだけど、今回の件、やっぱり私は健人くんが悪いなって思っちゃったんだ。5人でやってく、4人でやってく、そう言ったじゃん。グループでまだ目指すべき場所あったじゃん。抜ける方も残る方もどちらが良いとか悪いとかじゃないって言ってたけど、それでも善悪どちらかで表さなきゃいけないなら、やっぱり去る方が悪なんだとわたしは思う。だって私らファンの前で5人、4人、グループって何度も言ってきたのちゃんと聞いてるからさ。ひとの人生だから私が口出せることではないけど、たとえ一般人でも色んな周りの人がいて支えて貰って成り立ってる世界だし、ましてや芸能人なんてその骨頂だと思ってたから。だからちょっと……………………いや、もっともっと私の心の奥底にあるのは単純に「寂しい」なんだよね うん、それが本音なんだ。
でもね、私がSexyZoneと過ごしてきた約10年間は、もちろん苦しいこともあったけど、苦しくて辛いことが全体の8割だったとしても、残りの2割がその反動もあってか死ぬほど楽しくて嬉しくて、SexyZoneでしか得られないものが確実にあって、私はその10年間を否定したくないし、大切な綺麗な思い出として取っておきたいんだ。だからこそここで私のSexyZoneのオタクとしての人生に幕を閉じようと思います。
健人くんと出逢えたこと、SexyZoneと出逢えたこと、風磨と、勝利くんと、聡ちゃんと、マリウスと、この5人とだったからこそ見れた景色はわたしのたいせつな思い出です。
もしかしたらまた半年後、気が変わって健人くんのオタクしてるかもしれないし、新生SexyZoneを推してるかもしれない。もちろんそれはわからないけど、とりあえず今夜の配信ライブで一区切りです。
SexyZone、ありがとう。大好きだったよ。